本当に多様性が認められる世の中はくるの?

こんにちは。宇原哲生です。

21世紀に入ったころ、もう20年近く前になるのか。「個性」の時代になると言われていました。

いまは「多様性」という言葉に置き換わっているかな。

しかし世の中を見回すと「多様性」が認められてる、なんて時代になっている気がしません。

それどころか「個性」を潰し、「多様性」は認めない。そんな世の中に見えます。

出る杭を打ちに来る人たち

インターネットが当たり前な時代になって、余計にそう見えるのかもしれません。

ちょっと奇抜なファッションを着て登場すると「なんて、みっともない!」と声を上げる。

ちょっと違った意見を言うと「なんてことを言うんだ!」と目くじらを立てる。

人はそれぞれ違うから、価値観も意見も違ってくるのは当然なんだけど、それを認めない人たちがいます。

否定的な意見は大きく目立つので、実際は少数なのかもしれないけど。

叩かれるのは「個性」がある人たち。「個性」は他の人よりも目立つ存在。そんな目立った行為を「みっともない」と押し込めようとする。

これはまさに、出る杭を打つ行為です。

「出る杭は打って平均的にしてしまおう」という深層心理が働くのでしょうか?

海外にいくとどうなんだろう? 僕は海外に行ったことがなければ、住んだこともないので分からないけれど。

「打たれないくらいに出る杭になればいい」とはいえども、多くの人は打たれると委縮してしまうのではないでしょうか。

「多様性」を認めないことは差別を生む

生まれ育つ地域によって人の価値観は違ってきます。

人種、宗教、文化。

古今東西あらゆることが違って当然なのが人の世です。

「多様性」を認めないことは「差別」を生むことになります。

「人種差別」や「性的差別」、「格差差別」。

差別は平気で相手を傷つける。ときには命を奪ってしまう悲しい出来事も。

過去には、自分たちと違う人たちを消し去ろうと、多くの人を殺めてきました。

いま現在でも、自分と他人とが違うことに憤りを感じ攻撃的になる人がいる。

時代が進歩していっても、人の心は進歩していっていませんね。

認めることが人類を進化させる

文明の発展は「個性」ある人たちによってなされてきました。

電気の発明なんかも、はじめは他の人たちから白い目で見られていたことでしょう。「なにバカなことをやっているんだ」と。

しかし、電気は世の中を照らし明るくしてくれています。

だから僕は「個性」や「多様性」を認めていきたい。若い芽は潰すべきではないし、人がそれぞれ違うのは当然なんですから。

その「個性」が人々を明るくし、世の中を良いほうへ変えていってくれるかもしれない。

「多様性」があってこそ人類は進化しつづける。

みんな違って、みんないい。

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